
2008年04月03日
今日の言葉
松下電器創業者の松下幸之助さんの言葉が詰まった本にはまっています。
忘れっぽい私のためにも1日に1つずつ紹介していこうと思います。

「自分という畑」から最大の収穫を選るには
人生とは、例えば畑地のようなものである。
同じ耕地面積があっても、それをよく耕し、十分な収穫を上げるのと、そうでないのとでは、大変な違いだ。
よく生きるとは、自分の人生を十分に耕すことなのである。
そして、顧みて、我ながらよくやった、と言うような人生でありたい。
悔いのない我が人生であったと、心から思えるようでありたい。
そのためには、人生の途上の区切り区切りで、自分は今日までよく生きてきたか、今よく生きているか、そして、これからはどうかと言うことを自問自答し、それまでに成し得たことを ”検算” してみることも必要だ。
年末年始と言った節目を置いているのも、そのためのものと考えられる。
自分のやり方が間違っていても、節目などに振り返ることで、それを改めることができるものだ。
人生の最後に気がついても、間に合わないのである。
あああ~耳が痛いです。
気づけば毎日をただ惰性で過ごすとき。
ただただひたすら前だけを見て突っ走ってしまうとき。
ふと立ち止まって我が身を顧みることの大切さが伝わります。
私も私の人生を上手に耕せるようになりたいもんです。
忘れっぽい私のためにも1日に1つずつ紹介していこうと思います。
「自分という畑」から最大の収穫を選るには
人生とは、例えば畑地のようなものである。
同じ耕地面積があっても、それをよく耕し、十分な収穫を上げるのと、そうでないのとでは、大変な違いだ。
よく生きるとは、自分の人生を十分に耕すことなのである。
そして、顧みて、我ながらよくやった、と言うような人生でありたい。
悔いのない我が人生であったと、心から思えるようでありたい。
そのためには、人生の途上の区切り区切りで、自分は今日までよく生きてきたか、今よく生きているか、そして、これからはどうかと言うことを自問自答し、それまでに成し得たことを ”検算” してみることも必要だ。
年末年始と言った節目を置いているのも、そのためのものと考えられる。
自分のやり方が間違っていても、節目などに振り返ることで、それを改めることができるものだ。
人生の最後に気がついても、間に合わないのである。
あああ~耳が痛いです。
気づけば毎日をただ惰性で過ごすとき。
ただただひたすら前だけを見て突っ走ってしまうとき。
ふと立ち止まって我が身を顧みることの大切さが伝わります。
私も私の人生を上手に耕せるようになりたいもんです。
Posted by FP事務所エレファントライフ at 03:28│Comments(0)
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