明日は6月23日、慰霊の日です。
いつだって戦争の残り香があちこちにある沖縄だけど、
この日になると改めて考え、そして思い出す出来事があります。
確か20数年前、ちょうど夏休みの頃。
母方の祖母が宮古島の上野村から遊びに来ました。
あまり田舎からでたこともないおばーは、そんなに都会でもない本島の生活に驚いたり笑ったり。
ある日、そんなカワイイおばーを連れてお祭りに行きました。
屋台で買い食いしたり、お化け屋敷入ったり、ゲームしたり。
子供だった私たちも両親もおばーもずーっと笑顔で楽しんでました。
時間は過ぎお祭りのクライマックス、打ち上げ花火が始まりました。
ドーン ドーン ドーン
と鳴り響きキラキラ光る花火に見入っていた私は、その横で頭を抱えうずくまっているおばーが目に入りました。
「おばーなんでねー?具合悪いの?大丈夫?」
声をかけてもカタカタ震えて立ち上がろうとしない。
母が抱き上げゆっくり話を聞くと、理由がわかりました。
おばーは初めて見た打ち上げ花火の光と音を戦時中の空爆と勘違いし、フラッシュバックしていました。
私の身内は幸いというかなんというか戦争による犠牲者がいません。
それでも戦争の時代を生きたおばーの心には大きな傷が残っています。
沖縄では毎年この時期になると反戦平和を訴える催しや勉強会が行われます。
戦争を体験した方の話を見聞きするたび、本当に胸が痛くなります。
歴史を振り返ると戦争で傷ついたのは沖縄だけでも日本だけでもありません。
たくさんの国の人が戦争でたくさんの傷を負いました。
そして今現在もなお、戦争で心に身体に痛手を負っている人たちがいます。
国同士の問題や政治権力のあれこれやら色々難しいことがたくさんあって、戦争に対する意見も色々あると思います。
でもやっぱり単純な私はこれ以上人の心にも身体にも傷を付けることはもう止めて欲しい。
これ以上の気持ちも考えもありません。
毎日沖縄の米軍基地から飛び立つ戦闘機はどこの国に行っているのでしょうか?
基地を容認してしまっている私は戦争に加担していることになるんじゃないか?
いつもいつも考えてしまいます。
きれい事を言っているのは自分でも自覚しています。
でも花火を恐怖の対象でしか見れなかったおばーの心の傷を考えると、これ以上こんな辛い思いをする人を増やしたくない。
そして犠牲になった方々やご家族の無念を単なる歴史ではなく教訓としていきたい。
明日の慰霊の日はできるだけたくさんの方が悲惨な過去を振り返るとともに、未来の「平和」を考える日となればいいな、と勝手ながら思っています。